発信を続ける理由
おはようございます^^
中小企業向け販路開拓コンサルタント・展示会活用アドバイザーの大島節子です。
今日は雨が降るんですね。あじさいの季節ももうすぐです。そんな早朝の大阪から今朝も展活タイムズをお届けします。
発信方法の変遷をまとめると見えてきたこと
昨日の記事の続きです。2002年からかれこれ19年間ウェブでの発信を続けてきました。時間も手間がかかる作業なので、とっつきにくいとは思うんですけど、これだけ続いている理由は結局は効果があるからなんですよね。効果が見えないとモチベーションが下がってきてしまうのは仕方ないと思います。
私の発信方法はこんな変遷を経てきました。
1.2002年~マルワウィークリー期
ホームページを自分で作れるようになったことがうれしくて、誰かが自分が書いたものを読んでくれることが楽しかった時期。状況は連鎖倒産の危機真っただ中だったので、「どうすれば仕事が増えるだろう」ということばかり考えてましたね。誰に何を伝えるための発信なのか、は非常に明確だった時期です。
2.2005年~ブログgoo期
こうやって書き出してみると私が外部のサービスを使って発信をしていたのはこの時期だけなんですね。6年もありますけど(笑)。土日も関係なく毎日発信していた時期もあれば、まったく書かなかった時期もあります。後半の2年間は明らかに迷走してました。誰に何を伝えたいのか、何のために働いてるのか、わけがわからなくなっていました。
3.2011年~ワードプレス期のはじまり
震災をめぐる出来事がきっかけとなり、迷走に区切りをつけたタイミングで自社サイトにワードプレス導入。コンテンツを上げれば上げるほど自社サイトが分厚くなる仕組みを構築。ただこの時点では誰に何を伝えるために書くのか、コンセプトが明確になりきっていませんでした。
4.2015年~展示会の専門家として平日毎日更新期のはじまり
展活が軌道に乗り始め、自分のミッションが明確になった時期。2015年2月からコンセプトを明確にし、平日毎日更新をはじめたところ、ブログきっかけで仕事につながる事例が急増しはじめました。ただタイトルは「レンタル什器屋2代目社長」のままで、ワードプレスも自社サイト(maruwajuki.com)のほうに置いたままでした。
5.2017年~展活サイトに引越 完全に展示会の専門家として発信
展活は上手く行っていたけど、それまでは「自分は展示会の専門家である前に、什器屋の2代目社長だ」という思いがありました。しかし2016年に先代である父親を看取ったことが区切りとなり、展示会の専門家に振り切る決断ができました。その気持ちが展活サイト(tenkatsu.net)への引越に表れています。
6.2019年~ブログから展活タイムズに改名
これはウェブ活用塾で事例報告をした際に参加者の方から「ブログってずいぶん前に流行ったもので、オワコンのイメージがある」と言われたことがきっかけでした。確かにブログという言葉を使うかぎり日記のイメージがぬぐえません。私がしていることは専門情報の発信なので、ブログという言葉はそぐわないと感じました。そこでブログという言葉を使うのをやめ、展活タイムズという名前に変更しました。
毎日書き続けることはすごくしんどい日もあるけど、それでも続けていくことには理由があります。私の例でいうとコンセプトを明確にし毎日発信をはじめた2015年から明らかな効果が出始めました。そして毎日毎日考えて書く、という作業を繰り返すことで常にセルフイメージを更新し、ブランディングを固めていっているんだと思います。
検索で探して仕事につなげようと思うと、やはり外部のブログサービスを使うのではなく自社サイト内にシステムを構築し、コンテンツを分厚くしていくやり方が賢いです。SNSで拡散をしつつ、大元になるコンテンツはウェブサイトに置いておく、これが私がやってきたコンテンツマーケティングです。
発信を続けてきてよかったことしかありません。時間も手間もかかるけど必ず報われます。来年で20年かぁ(笑)。ずっとウェブとともに歩んできたんですねぇ…。
まとめ
今朝の展活タイムズは発信方法の変遷をふりかえりつつ、あらためて発信を続ける理由について考えてみました。
今日もお読みいただきありがとうございます。
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大島 節子
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