心に残る言葉③
おはようございます^^
自社の問題解決力を見える化し展示会を成功に導く、展示会活用アドバイザーの大島節子です。
各地で雪が降っているようですね。大阪もこの冬一番の寒さ。そんな早朝の大阪から今朝も展活タイムズをお届けします。
3つ目は言葉というか概念です
年が明けたばかりでまだ展示会もないので「心に残る言葉」をテーマに記事を書いています。今日は3つ目を紹介します。昨日・一昨日に紹介した言葉はこちらからお読みいただけます。
21歳、大学3回生で出会った言葉
3つ目は言葉というか概念です。「特A級の幸せ」という概念。大学3回生のときに杉村太郎さんの『絶対内定』という就活対策の本で出会いました。ただ今、『絶対内定』が手元にないので、もしかしたら表現が少し違っていたかもしれません。その点はお許しください。
まず当時の私の状況から説明させて下さい。私は大学時代はめちゃくちゃ真面目な学生でした(反対に高校時代が不真面目でした)。まさか自分が大学に行けると思って生きて来なかったんですよ。周囲にほぼ大卒がいない環境で育ったので。
でも大学に行きたいと意志を固めてお願いしたら行かせてもらえることになって、偶然入った女子大がものすごく自分に合って。今でも戻れるとしたら戻りたいのは大学時代だけです。とくかく勉強をしました。男子がいない環境というのはこんなにも思う存分勉強ができるのだ、と。勉強が楽しくてたまりませんでした。専門は美術史でした。一番前の席に座り、積極的に質問をし、レポートを書きまくりました。
女子大だったので就職対策のプログラムも結構充実していました。20歳がwindows95の年なのですが、パソコン教室ではパソコン使い放題でした。IT系や秘書など就職に有利になりそうな資格を取る支援制度もあったので最大限活用して結構な数の資格を取りました。
社会人になるための心構え
なのでこんなにも幸せな大学時代を過ごさせていただいたからには、結果を出さなければという思いがありました。でも大学3回生時点で進路はまったく決まってなかったんですよね。
一番やりたいことは勉強を続けること。大学院に進んで美術史の勉強を続けて、専門知識を活かした仕事(学芸員とか)につきたかったです。でも大学院に進んだところで専門家としての狭き門を勝ち抜いていく自信はなく覚悟は決まりませんでした。
せっかく大学時代にたくさん資格も取ったのだし、就活をがんばって少しでも良い会社に就職することが大学生活の結果を出す、ということなのかな、と。そして就活準備のために手に取った本が『絶対内定』だったのです。
「特A級の幸せ」
『絶対内定』に書かれていたことで衝撃だったのは“幸せ”には段階がある、という概念です。
例えば自分は音楽が好きだとします。
【B級の幸せ】
ギターを買って弾けるようになる。
【A級の幸せ】
バンドを組んで演奏をする。
【特A級の幸せ】
自分の演奏で誰かに喜んでもらう。プラスの影響を与える。
確かに!と思いました。確かに美術史の勉強が好きだったけれど、その幸せはB級でした。知らないことを知って自分の知識が増えるのが楽しい、そういう段階の幸せでした。そして美術史とは関係なくても自分がやったことで誰かに喜んでもらえたら、その時に感じる幸せの方がレベルが上だったことを思い出しました。
この概念が腑に落ちたことで就活成功の定義がわかりました。B級やA級の幸せはバイトなのだ。時間給いくらで働く人の考え方。就活とは特A級の幸せを感じられる仕事に就くことを目指す活動なのだ!と。
『絶対内定』から学んだそれ以外のこと
『絶対内定』からの学びはそれだけではありませんでした。私はそれまで自分の言葉や行動によって相手がどう思うか、ということをあまり考えずに21年間生きていたことに気づきました。
就活は多くの人がはじめて他者にジャッジされる場です。なので「自分が言いたいこと」ではなく「相手が聞きたいこと」を言う必要があります。たぶんそれを天然でできる人もいるのでしょうね。でも私は違った。就活する中ではじめて「相手が聞きたいこと」を真剣に考えるようになりました。
『絶対内定』にはたくさんの質問があってそれに答えながら読み進めていくタイプの本です。私は結果的に5周くらい読んで、回答のノートは確か7冊になったと記憶しています。同じ質問でも1回目と5回目では答えが変わっていきました。自然に社会人の思考ができるようになっていく感覚でした。
そのあたり本当によくできた本だったと思います。それまでにも正しいことが書かれた就活本はたくさんあったでしょう。でも21歳という年齢の若者に何をどういう順番で考えさせれば本質に気づかせられるのか、その設計が見事だった。
死ぬ気でやれよ、死なないから
実は杉村太郎さんは「死ぬ気でやれよ、死なないから」と言った人でもあるのですよね。この言葉はかなり危険な言葉で、上司が部下に押し付けるとパワハラになります。私が就活してた時代はまだこの言葉はありませんでした。でも『絶対内定』の中にもこういうニュアンスの言葉があった記憶があります。
で、杉村さんは2011年に47歳で原因不明の癌で亡くなっています。なのでネットでは「死ぬじゃん!だから言わんこっちゃない」とイジられる言葉になってしまっています。
でも私は本気で就活をやって本当に良かったと思っています。氷河期だったこともあり、ロクな内定がでず、何度も打ちひしがれました。でも本気でやったから悔いはありません。納得して卒業後は家業に入りました。そしてずっと特A級の幸せを意識しながら仕事を作ってきました。私の仕事人生の原点は21歳でこの概念と出会ったことだと思います。
まとめ
3日間にわたって心に残る言葉を紹介してきました。時系列的には今日紹介した3つ目を最初に紹介するべきでしたよね。でも結果的にこの3つ目が一番長くなってしまったし、私の仕事人生の原点となる言葉なので、この順番で良かったのかなと思います。
来週からはまた展示会について書いていきます。
今日もお読みいただきありがとうございます。
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